廃景 まだ見ぬ退廃美へ

日本中の廃景を探しに行きます

大分県道40号旧道町田地区(探索編)②

(探索日:2017年11月2日)
これまでのレポート

大分県道40号旧道町田地区(概要編) - 廃景 まだ見ぬ退廃美へ

大分県道40号旧道町田地区(探索編)① - 廃景 まだ見ぬ退廃美へ

 

はい、どうも。

 

今回は
大分県道40号(飯田高原中村線)旧道町田地区
の現地探索②を書いていきます。

場所はこちら

旧道のちょうど中間地点あたりになります。
倒木が道を塞いでいます。ここから先、車は通れなさそうです。

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お!これは田舎の道でよく見かける“あの”フレーズですね!
九州でもお見掛けするとは思いませんでした。

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工事中の看板がありました。
この看板が、旧道の歴史を紐解くカギとなります(詳しくは考察編で書きます)。

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廃道の電柱は、撮影必須のアイテムですね。
国道,県道の名前が書いてあったりするので、確かに使われていたこと伝えてくれる証言者となります。
この電柱は1986年8月に建てられたので、現在の主要地方道として指定された1993年*1以前に、既に道が存在していたことが分かります。*2

いよいよ、この廃道もクライマックスとなってきました。
落石で道が塞がっています。

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電柱が根元から倒れています。(おそらく)電流は流れていないでしょうが、水に浸った電線にビビってしまいました。

 

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高巻きして土砂を乗り越えることも考えましたが、夕暮れだったためこれ以上の探索は不可能と判断。

 

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探索最終地点から振り返って撮影。

 

現地探索のレポートは以上になります。
次回は、どのような経緯で旧道になったか、考察していきます。

*1:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省

*2:中村明則(2009)「飯田高原における観光開発の展開」『別府大学紀要No.50』pp39 参照 1934年に豊後中村~飯田高原を結ぶ県道(同県道かと思われる)が改修されています。